あなたは誰かから櫛をもらったことがありますか。あるいは、大切な人に櫛を贈ったことはあるでしょうか。
現代では、プレゼントといえばアクセサリーやバッグ、時計といったものが主流になっています。でも、日本には古くから「櫛を贈る」という美しい習慣がありました。そこには、言葉では伝えきれない深い想いが込められているのです。
今日は、櫛というプレゼントに秘められた意味について、いくつかの物語とともにお話ししていきたいと思います。もしかしたらこの記事を読み終わる頃には、あなたも誰かに櫛を贈りたくなるかもしれません。あるいは、昔もらった櫛の意味に、今更ながら気づくことになるかもしれません。
まず、櫛というものが持つ不思議な力についてお話しさせてください。
毎朝、私たちは当たり前のように髪を梳かします。寝癖を直したり、絡まった髪をほどいたり。何気ない日常の一コマです。でも、ちょっと想像してみてください。バラバラに乱れた髪の毛が、櫛を通すことで一本一本整えられ、美しくまとまっていく。その様子は、まるで心の乱れが少しずつ落ち着いていくかのようではありませんか。
実際、髪を梳かすという行為には、心を鎮める効果があると言われています。忙しい朝でも、鏡の前で髪を整える時間は、自分自身と向き合う大切なひとときになります。だからこそ、櫛は単なる道についてではなく、心を整える道具として、古来から大切にされてきたのです。
ここで、櫛にまつわる少し意外な話をひとつ。江戸時代、遊女たちの間では「櫛を折る」という行為が、究極の愛情表現とされていました。自分の大切な櫛を、好きな男性の前でわざと折って見せる。「あなたのために、こんなに大切なものを壊してもいい」という、命がけの愛の証明だったのです。現代の感覚からすると少し過激に思えますが、それだけ櫛というものが女性にとって特別な存在だったということが分かります。ちなみに、この風習があまりに流行りすぎて、遊郭では「櫛の折りすぎ禁止令」が出されたこともあったとか。人間の愛情表現というのは、いつの時代も少し行き過ぎてしまうものなのかもしれませんね。
さて、本題に戻りましょう。櫛をプレゼントすることには、いくつかの深い意味が込められています。
まず一つ目は、「苦と死を共に乗り越える」という約束です。
櫛は「くし」と読みます。この音が「苦」と「死」を連想させることから、櫛を贈るということは「人生のあらゆる苦難を、あなたと一緒に乗り越えていきたい」という意思表示になるのです。
これは、軽い気持ちで言える言葉ではありません。人生には必ず困難がやってきます。病気、失業、家族の問題、心が折れそうになる出来事。そんなとき、隣にいて支えてくれる人がいるかどうかで、人生は大きく変わります。櫛を贈るということは、「どんなときも、あなたのそばにいる」という、重い約束を交わすということなのです。
ある女性から聞いた話があります。彼女は三十代前半、仕事で大きな失敗をして、会社を辞めようか本気で悩んでいた時期がありました。毎晩、一人で泣いていたそうです。そんなとき、当時付き合っていた彼氏が、小さな木箱を差し出しました。
中に入っていたのは、シンプルなつげ櫛でした。
彼女は正直、「なんで今、櫛?」と思ったそうです。落ち込んでいる彼女を励ますなら、もっと華やかなものをくれてもいいのに、と。でも、彼は静かにこう言いました。
「これ、『苦と死を乗り越える』って意味があるんだって。俺、正直、君の仕事のこと、全部は分からない。でも、君が辛い時、一緒にいることはできる。だから、これ」
彼女の目から、涙がこぼれました。それは悲しみの涙ではなく、温かさで胸がいっぱいになった涙でした。彼の言葉は決して上手ではなかったけれど、不器用な言葉の奥に、本物の優しさが見えたのです。
彼女はその後、会社を辞めずに踏みとどまりました。そして数年後、彼と結婚しました。今でもあのつげ櫛は、彼女の宝物だそうです。毎朝、その櫛で髪を梳くたびに、あの夜のことを思い出すと言います。辛かった日々も、支えてくれた人がいたから乗り越えられた。その証が、手の中にある。
二つ目の意味は、「二人の縁を結ぶ」ということです。
櫛は、バラバラの髪の毛を一つにまとめる道具です。この機能から、「離れ離れのものを結びつける」という意味が生まれました。つまり、櫛を贈ることは「あなたと私の縁を、しっかりと結びたい」というメッセージになるのです。
縁というのは、不思議なものです。何万人、何十万人という人がいる中で、私たちは特定の誰かと出会い、惹かれ合います。その確率を考えると、好きな人と出会えたということ自体が、奇跡のようなものだと思いませんか。
櫛を贈るということは、その奇跡を大切にしたいという気持ちの表れです。「せっかく出会えたのだから、この縁を切らさないように」「二人の関係を、もっと深いものにしていきたい」。そんな願いが、櫛という形になっているのです。
ある男性の話を聞いたことがあります。彼は大学時代、同じサークルの女性に片思いをしていました。でも、なかなか告白する勇気が出ませんでした。卒業が近づいてきて、このままでは会えなくなってしまう。焦りと不安で、夜も眠れない日が続きました。
卒業式の前日、彼は意を決して、彼女を呼び出しました。春の夕暮れ、桜の花びらが舞う公園のベンチ。彼の手は震えていたそうです。
「これ、受け取ってほしい」
彼が差し出したのは、桜の模様が彫られた小さな櫛でした。彼女は驚いた顔をしました。「櫛?」
彼は必死で説明しました。櫛には縁を結ぶ意味があること。卒業しても、離れても、二人の縁を切りたくないこと。そして、ずっと好きだったこと。
言葉は支離滅裂だったかもしれません。顔は真っ赤だったでしょう。でも、彼の想いは確かに伝わりました。彼女の目には、涙が光っていました。
「私も、ずっと好きだった」
彼女の声は小さかったけれど、彼の耳にははっきりと届きました。桜の花びらが、二人の間をひらひらと舞っていました。まるで、二人の縁を祝福するかのように。
その二人は今、結婚して子どもも生まれています。あの桜模様の櫛は、今でも彼女の化粧台に大切に置かれているそうです。
三つ目の意味は、「毎日、あなたのことを想っている」というメッセージです。
櫛は、毎日使うものです。朝起きて、髪を整える。夜、お風呂上がりに髪を梳かす。その度に、贈ってくれた人のことを思い出す。櫛を贈るということは、「毎日、君のことを想っているよ」という、日々の愛情の約束でもあるのです。
派手なプレゼントは、もらった瞬間は嬉しいけれど、しばらくすると存在を忘れてしまうこともあります。でも、櫛は違います。毎日使うものだから、毎日思い出す。それは、静かだけれど確かな愛情の形です。
遠距離恋愛をしていたカップルの話があります。彼は東京、彼女は福岡。会えるのは月に一度がせいぜいでした。離れている時間が長いと、どうしても不安になります。「本当に私のこと、好きでいてくれているのかな」「忘れられていないかな」。そんな思いが、彼女の心を時々曇らせました。
ある日、彼から小包が届きました。中には、美しい螺鈿細工の櫛が入っていました。一緒に入っていた手紙には、こう書かれていました。
「毎日、君のことを考えてる。でも、言葉にするのが苦手で、うまく伝えられない。だから、この櫛を使うたびに、俺が君のことを想ってるって、思い出してほしい」
彼女は、その櫛を手に取って、しばらく動けなかったそうです。彼は口下手で、甘い言葉をささやくタイプではありませんでした。でも、この贈り物には、彼の精一杯の愛情が込められていました。
それから彼女は、毎朝その櫛で髪を梳くようになりました。東京にいる彼のことを想いながら。離れていても、心は繋がっている。その実感が、彼女を支えました。
二年後、彼女は東京に引っ越し、二人は一緒に暮らし始めました。今でも彼女は、あの螺鈿の櫛を使い続けています。もう毎日会えるようになったけれど、あの櫛で髪を梳く時間は、彼女にとって特別なままなのです。
四つ目の意味は、「いつまでも美しくいてほしい」という願いです。
櫛は、髪を美しく整える道具です。だから、櫛を贈ることには「あなたの美しさを、いつまでも大切にしてほしい」という願いも込められています。
これは、外見の美しさだけを言っているのではありません。髪を整えるということは、自分自身を大切にするということです。忙しい毎日の中でも、自分のための時間を持つこと。自分を慈しむこと。櫛を贈るということは、「自分自身を大切にしてね」というメッセージでもあるのです。
ある女性は、母親から成人式の日に櫛をもらいました。着物を着て、髪を結い上げて、写真を撮った後。母親が小さな箱を差し出しました。
「これ、お母さんが若い頃から使っていた櫛。あなたにあげる」
中には、年季の入ったつげ櫛が入っていました。何十年も使い込まれて、飴色に輝いていました。
「お母さんね、辛いことがあった時、この櫛で髪を梳きながら、自分を励ましてきたの。髪を整えると、心も整う気がしてね。あなたも、これから色々なことがあると思う。でも、この櫛を使うたびに、自分を大切にすることを忘れないでね」
母親の目には、涙が光っていました。娘を思う母の愛情。そして、これから社会に出ていく娘への心配と、応援の気持ち。全てがその櫛に込められていました。
彼女は今、三十代になりました。仕事で辛いことがあった時、恋愛でうまくいかなかった時、あの櫛を手に取ります。母親の顔が浮かびます。そして、「自分を大切にしなきゃ」と思い直すのです。
ここまで読んでくださったあなたに、伝えたいことがあります。
櫛というプレゼントには、これほど深い意味が込められています。でも、大切なのは櫛そのものではありません。大切なのは、贈る人の想いです。
もしあなたが誰かを大切に思っているなら、その気持ちを形にすることを恐れないでください。言葉にするのが苦手なら、贈り物に託してもいい。不器用でもいいのです。本物の想いは、必ず相手に届きます。
そして、もしあなたが誰かから櫛をもらったことがあるなら、その意味を思い出してみてください。その人は、あなたに何を伝えたかったのでしょうか。「苦難を共に乗り越えたい」「縁を大切にしたい」「毎日想っている」「いつまでも美しくいてほしい」。どれも、深い愛情の表れです。
恋愛は、勇気がいるものです。自分の気持ちを伝えることは、怖いことでもあります。でも、その一歩を踏み出した人だけが、特別な関係を手に入れることができます。
櫛を贈った人たちも、きっと怖かったはずです。「変に思われないかな」「重いと思われないかな」。そんな不安を抱えながらも、想いを形にする勇気を出しました。そして、その勇気が、二人の関係を変えました。
あなたにも、大切に思っている人がいるでしょうか。まだ気持ちを伝えられていない人が、いるでしょうか。
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