ふとした瞬間に、あの人のことを思い出してしまう。
街角で似た背中を見かけたとき。昔よく聴いていた曲がカフェで流れてきたとき。季節の変わり目、空気の匂いが変わったとき。
もう何年も経っているのに、胸の奥がきゅっと痛む。その感覚に、自分でも驚いてしまう。
「いい加減忘れなきゃ」と思えば思うほど、記憶は鮮明によみがえってくる。新しい出会いがあっても、どこかであの人と比べている自分がいる。このままでいいはずがないと頭ではわかっているのに、心がついてこない。
もしあなたが今、そんな状態にいるなら、まず一つだけ伝えさせてください。
何年も誰かを想い続けられるということは、それだけ深く愛せる心を持っているということ。その愛情深さは、決して恥ずかしいことでも、弱いことでもありません。
時間が解決してくれるはずだったのに
「時間が薬」という言葉があります。どんな傷も、時間が経てば癒えていく。多くの人がそう信じています。
でも実際はどうでしょうか。
四十五歳の女性は、高校時代の初恋の人を三十年近く忘れられないと話してくれました。
「年に何度か、彼が夢に出てくるんです。目が覚めた後、しばらく放心状態になってしまって。実際に会ったのはもう二十八年前なのに、感情だけは昨日のことみたいに鮮明で」
彼女は困ったように笑いながら、こう続けました。
「夫も子どももいて、仕事も充実していて、客観的に見れば幸せな人生を送っているはずなんです。なのに、あの人のことを考えると、今でも胸が締めつけられる。自分でも理解できないんです」
この話を聞いて、私は彼女がおかしいとは思いませんでした。むしろ、多くの人が同じような経験をしているのではないかと感じたのです。
時間が経てば忘れられる。それは半分正しくて、半分間違っています。
なぜなら、強い感情を伴った記憶は、脳の中で特別な扱いを受けるからです。扁桃体という部分が、その記憶に「重要」というラベルを貼り、通常の記憶よりもずっと鮮明に保存してしまう。これは生物学的な仕組みなので、意志の力だけではどうにもならないことがあるのです。
だから、何年経っても忘れられない自分を責める必要はありません。あなたの脳が、その記憶を「大切なもの」として保管しているだけなのですから。
ここで少し、脱線した話をさせてください
記憶の不思議さについて、面白い研究があります。
人間の脳は、実際に体験したことと、鮮明に想像したことを、うまく区別できないそうです。つまり、何度も繰り返し思い出すたびに、その記憶は少しずつ「編集」されていく。
私の友人にワイン好きの人がいるのですが、彼女はこんな話をしてくれました。
「十年前に飲んだワインの味を、ずっと忘れられなかったの。フランスの小さな村で、夕暮れ時に飲んだ一杯。人生で一番おいしいワインだった。それで去年、同じ村を訪ねて、同じワインを探し当てて飲んでみたの」
結果はどうだったか。
「普通においしかったけど、記憶ほどじゃなかった。たぶん、十年間思い出すたびに、私の中でどんどん美化されていったんだと思う。夕日も、風の匂いも、全部が完璧だった記憶として上書きされていって」
恋愛の記憶も、似たようなことが起きているのかもしれません。
あの人との時間を思い出すたび、嫌なことは薄れ、良いことばかりが輝きを増していく。実際のあの人ではなく、記憶の中で理想化された「あの人」を、私たちは愛し続けているのかもしれないのです。
記憶の中の「あの人」と、現実の「あの人」
五十歳で会社を経営する女性は、思い切った行動に出ました。二十五年ぶりに、忘れられなかった人に会いに行ったのです。
「ずっと頭の中にいたんです。大学時代に付き合っていた彼。キラキラしていて、才能にあふれていて、一緒にいるだけでドキドキした。あの頃の私には眩しすぎる存在でした」
彼女は深呼吸してから、続けました。
「実際に会ってみたら、普通の中年男性だったんです。お腹も出ていたし、話す内容も特別じゃなかった。むしろ、ちょっと退屈だなって思ってしまった自分がいて」
その瞬間、彼女の中で何かが変わったそうです。
「私が二十五年間愛していたのは、目の前にいるこの人じゃなかったんだって気づいたんです。記憶の中の、二十三歳の彼。もう存在しない人を、ずっと追いかけていたんだって」
帰りの新幹線の中で、彼女は不思議な解放感を味わったと言います。長年背負っていた重い荷物を、ようやく下ろせたような感覚。窓の外を流れる景色が、いつもより明るく見えたそうです。
もちろん、直接会うことが難しい場合や、会うべきではない状況もあるでしょう。そんなときは、共通の知人から近況を聞いたり、SNSで現在の様子を知ったりするだけでも、記憶の中の幻想に風穴を開けることができます。
大切なのは「時間は人を変える」という当たり前の事実を、頭ではなく心で理解すること。あなたが変わったように、あの人も変わっている。記憶の中のあの人は、もうどこにもいないのです。
自分の中に眠る「本当の欲求」を見つめる
五十五歳の医師として働く女性は、長年の自己分析の末に、ある気づきに至りました。
「二十代で別れた彼のことを、ずっと忘れられなかったんです。でもあるとき、ふと思ったんです。私が懐かしんでいるのは、本当に彼なのだろうかって」
彼女は少し恥ずかしそうに笑いました。
「気づいたんです。私が恋しかったのは、彼じゃなくて、あの頃の自分だったって。何にでもなれる気がしていた二十代の自分。可能性に満ちていて、怖いものなんてなかった頃の自分。彼を思い出すことで、あの頃の自分に会いに行っていたんです」
この気づきは、多くの人に当てはまるのではないでしょうか。
あの人を通して、私たちは何を見ていたのか。あの人といた頃の自分は、どんな自分だったのか。あの人に憧れていた部分は、実は自分の中にある未発揮の可能性だったのではないか。
四十八歳のデザイナーの女性は、こんなふうに振り返ります。
「彼のことを『自由で型破りな人』だと思って憧れていたんです。でも本当は、私自身が自由になりたかった。型にはまった生き方から抜け出したかった。その願望を、彼に投影していたんですね」
彼女は自分の創造性を仕事で発揮し始めてから、不思議と彼への執着が薄れていったそうです。自分の中にあった欲求を、自分自身で満たせるようになったから。
「忘れる」のではなく「書き換える」という発想
三十八歳のカウンセラーの女性は、ユニークな方法を試しました。
「忘れようとするほど記憶は強くなる。それなら、記憶を書き換えてしまおうと思ったんです」
彼女がやったのは、物語を書くことでした。
「まず、彼と結婚した未来の物語を詳細に書きました。幸せな新婚生活、子どもの誕生、マイホームの購入。理想的な人生を、できるだけリアルに」
でも、それだけでは終わりません。
「次に、その結婚生活が破綻していく物語を書いたんです。価値観の違いによるすれ違い、コミュニケーションの断絶、そして離婚。これもできるだけ具体的に」
最初は辛かったそうです。でも書き終えたとき、彼女の中で何かが変わりました。
「不思議なことに、『あのまま続いていても幸せだったとは限らない』って、心の底から思えるようになったんです。頭ではわかっていたことが、物語を通して腹に落ちた感じ。潜在意識が納得してくれたんだと思います」
脳は、実際の体験と鮮明な想像を区別できない。その特性を逆手に取った方法です。
小さな儀式で区切りをつける
四十二歳の作家の女性は、毎朝のルーティンを変えました。
「あの人のことを考える時間を、一日五分だけ自分に許可することにしたんです。タイマーをセットして、その五分間だけは思う存分思い出す。そして五分経ったら『では、今日の現実に戻ります』と声に出して宣言する」
最初の頃は、五分では足りないと感じたそうです。一日中考えていたいくらいだった。
でも、続けていくうちに変化が起きました。
「だんだん、思い出すことが『楽しみ』から『義務』に変わっていったんです。タイマーが鳴って『あ、今日のノルマだ』みたいな感覚。そうなると、自然と興味が薄れていって」
三か月後には、自分から思い出す頻度が激減していたそうです。強制的に思い出す時間を設けることで、逆説的に記憶の支配力が弱まった。面白い現象です。
四十七歳の画家の女性は、もっと直接的な方法を選びました。
「キャンバスに彼の顔を描いたんです。記憶を頼りに、できるだけ正確に。そしてその上から、全く別の絵を重ね塗りしました。花畑の絵を」
彼女はその作品を「ペインティング・オーバー」と名付けました。
「視覚的に、物理的に『上書き』する行為が、心理的にも効いたみたいで。彼の顔の上に花が咲いている。その絵を見るたびに、『ああ、もう終わったんだな』って思えるようになりました」
四十四歳の研究者の女性は、十五年間続けていた習慣に終止符を打ちました。
「毎年、彼の誕生日に手紙を書いていたんです。出さない手紙。自分だけが読む手紙。その年に起きたこと、考えたこと、彼への想い。それを書くことが、一種の浄化作用になっていました」
でも十五年目の誕生日、彼女は最後の手紙を書きました。
「『これが最後の手紙です。あなたは私の過去の大切な一部ですが、もう現在の私には必要ありません。長い間ありがとう。さようなら』そう書いて、庭で燃やしました」
火を見つめながら、彼女は泣いたそうです。悲しみの涙というより、長い旅の終わりに流す涙。やっと帰ってきた、という安堵の涙。
「儀式って大事なんですね。心に区切りをつけるために、体を使った行動が必要だったんだと思います」
「忘れる」から「統合する」へ
六十歳で教師を退職した女性は、四十年かけてたどり着いた答えをこう語ってくれました。
「ずっと『忘れなきゃ』と思っていたんです。あの人のことを考えるたびに、自分を責めていた。でも六十歳になって、ようやくわかったんです。忘れる必要なんてなかったって」
彼女の声は穏やかでした。
「あの人は『忘れられない恋愛対象』じゃなくて、『私の人生の重要な教師』だったんです。彼を通して学んだこと。信頼することの難しさ、自分で立つことの大切さ、愛することの喜びと痛み。それらは全部、今でも私の財産として生きています」
元恋人から、人生の教師へ。関係性の意味を再定義することで、記憶との付き合い方が変わる。苦しみを伴う執着から、感謝を伴う思い出へと変化していく。
六十二歳の大学教授の女性は、四十年前の恋人のことを今でも時々思い出すそうです。
「でもそれは、もう苦痛じゃないんです。秋の日差しみたいに、穏やかであたたかい感覚。私の人生の美しい一幕として、ちょうどいい距離で記憶の中に存在しています」
彼女は窓の外を見ながら、こう続けました。
「完全に忘れることが目標じゃなかったんですね。適切な場所に収めること。図書館の本みたいに、必要なときに取り出せるけど、普段は静かに棚に並んでいる。そういう状態になれたんだと思います」
あなたの物語は、あなた自身のもの
七十歳の随筆家の女性が、最後にこんな言葉を残してくれました。
「私は彼を忘れようと、五十年も戦いました。どうすれば忘れられるか、ずっと考え続けた。でも七十歳になってわかったんです。忘れる必要なんて、最初からなかったって」
彼女は微笑みました。
「彼は私の内面の風景の一部として、そっと存在していればいい。無理に追い出そうとしなくていい。だって私の人生は、彼についての物語じゃないから。私自身についての物語なんです。彼はその物語の登場人物の一人にすぎない」
この言葉を聞いたとき、私は深く納得しました。
忘れられない人がいる。それは事実として受け入れていい。でも、その人があなたの人生の主役になる必要はない。あなたの人生の主役は、いつだってあなた自身なのだから。
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